
写メ日記
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2024年10月26日 20:05 の投稿海辺から水平線を眺めると空はこんなにも広いのかと実感する高層ビルが立ち並ぶ都心とはまるで違う世界そこには日常の些細なことを忘れさせてくれるような自然と世界の広大さを感じるその水平線の先にいつかゴールがあると信じてこれからの未来に何を思い描くのかその余白にどんなストーリーを描くのか自然を見つめながら未来予想図を描くのもたまにはいいかも
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2024年10月25日 19:05 の投稿僕がたまに一人で行く沖縄料理屋さんは、店内に入ると沖縄の空気を感じます。店主の方が沖縄出身ぽいとか、店内に沖縄を連想させるものが置いてあるとか、いろいろそう感じさせてくれる要素はあるのですが、もう一つ大事なもの、それがBGMです。(あ、ちなみに秋山、沖縄っぽいとたまに言われますが、沖縄出身ではありません。)懐メロともまた一味違う、独特の音楽。この沖縄っぽいBGMを聞くと、もう心は沖縄気分。沖縄に小旅行した気分です。沖縄のBGMを聞きながら、左手にオリオンビール、右手にソーキそば、左脚にジーマミー豆腐なんて、贅沢ですね。この情報過多の現代、ともすると目からの情報が多すぎて、それ以外の感覚器官からイメージをする、というタイミングが少なくなっている気がします。たまには目からの情報を意図的に少なくして、鼻や耳や舌といった感覚を研ぎ澄ませてみたいものです。寝る前は視覚の情報を遮断して、安らぎのBGMを流してみるとか、アロマを焚いてみる、とか。あとはFIRST CLASSのキャスを聞いてみる、とか。顔にモザイクがかかっていても、声を聞くと新たなイメージが浮かんだりするものです。え、秋山さんはキャスしないのって?えっと、それは…(次回へ続く)
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2024年10月24日 20:05 の投稿仕事関連で大変お世話になっている方が、大病を患ったことがあった。面会もできない状態が続き、一年も生きられないかもしれない、と聞いた。生きてくれることを願うしかなかった。奇跡的に、その方は復活を遂げた。しかし、久しぶりに会ったその姿は、まるで別人だった。生きながらえてくれたことを嬉しく思う反面、自分が今まで出会っていた人と違う人に接しているようで、違和感を消し去ることができなかった。もしかしたら、その方は生まれ変わったのかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎった。再会でもあり、新たな出会いにも感じた。やはりその仕事で、僕はその方と力を合わせて成し遂げなければならないものがある、と自分の使命を再確認した。出会いと別れ。生と死。出会いという名の「生」を授かった以上、別れという名の「死」はいつか訪れる。別れなど本当は目を背けたい。しかし、いつか来る別れを常に意識するからこそ、出会いやその人との時間を大切にできる。そしてその出会いには必ず意味がある。そこで自分が果たすべき使命は何なのか。そんな使命感を色濃く感じ始めている、顔の濃い秋山純士でした。
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2024年10月23日 20:05 の投稿秋山はおいしいごはんが大好きなのはもちろんのこと、おいしいお酒も大好きです。もちろん、お酒単体の味も好きなのですが、料理に合わせて嗜むからこそ、料理とお酒の味がより引き立つという、SAKEとMESIの相乗効果を狙った楽しみ方がたまらなく好きなのです。お酒は、どういう温度で飲むか、どういうグラスで飲むか、そしてどういう料理と組み合わせるかで、いろいろな「表情」を見せます。お酒にどういう「表情」があるのかを知り、どう提供したらその「表情」が引き立つのか。それを日々考え、研究されている料理人の方やソムリエの方には脱帽です。秋山も、ソムリエではありませんが、出会う人の一番よい「表情」を引き出せる人間になりたい、そんな風に思うわけです。よく人の心と秋の空がたとえられますが、心だけでなく、移ろいやすい表情に一種の儚さと美しさを感じ、皆さまの秋の表情を拝見できることを、楽しみにしている次第であります。
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2024年10月22日 19:05 の投稿社会に属している以上、人と関わっていくときに最低限の常識は必要だ。それは組織であっても、企業であっても、基本的には一緒。その常識は他人と円滑にコミュニケーションをとったり、集団に順応するという意味で、人として身につけておかなければならないものである。しかし、ある世界に長く身を置いていると、あるものが常識のようで、実は単なるとらわれであることに気がつくことがある。そのとらわれは時としてその人の可能性を制限してしまうことがある。常識を疑うということばがあるが、その常識が本当に必要なものなのか、自分で考えることは時には必要。合法的な範囲で、他人への配慮を忘れずに、常識の上に自分なりの「非常識」を築く。敷かれたレールに従わず、決まったコースを外れることはリスクも多い。でもあの伝説のバンド「オフコース」が道を外れる選択をしたからこそ生まれたように、外れたからこそ見えてくる新たな世界がある。社会的に見てどう、の前に、自分はどうありたいのか。とらわれの仮面を外して、人生を謳歌したいものだ。今日は久しぶりにまじめな秋山純士